自由の対決

当ページのリンクには広告が含まれています。
  • URLをコピーしました!
こんにちは、けび子( @keviko.com)です。

ちょっと重い話をひとつ。

出来るだけサラッと進めたいと思います。

目次

背景

昨今、ケベック州が可決した法律で、政教分離原則を強化しました。

この法律で、ムスリム教の生徒が学校内での祈祷をする事が禁止されました。

この法律は、宗教の自由の法則に反すると、ムスリム教の団体が訴訟を起こしていました。

同時に、最高裁へ訴訟が解決するまでの間、生徒が校内で祈祷を続けれるように、緊急の許可を申請していました。

最高裁は棄却

ケベック州の最高裁は、ムスリム教団体の訴訟を棄却しました。

理由は、法律が可決されたのは5月、訴訟を起こしたのは1ヶ月後の6月。

法律の是非については法廷で争われ結果が出る。

学校も夏休みに入り、申請をするのに1ヶ月もかかっているので緊急性が認められないと緊急申請は棄却されました。

自由の対決

宗教の自由も理解出来ます。

公共の場は、出来るだけ政教分離原則が守られるべきだとも思います。

じゃ〜国公立の学校では政教分離の原則が適用されるべき?

キリスト教徒の宗教学校も存在しますよね。

そう言った学校へもある一定の教育課程を守るよう政府は指導・指示しています。

そこには政教分離の原則は適用されないの?

宗教と政治が同じ方向を向いていない場合はどっちの自由が優先されるべきなの?

さいごに

自由って簡単に口にするけど。。。

誰もが納得出来る自由の枠って存在しないんですよね。

ある一定のグループにとっては理不尽な法律ってたくさん存在する訳だし。

一つひとつを法廷で争ったところで必ずみんなが納得出来ているとも限らないし。

マジョリティもマイノリティも出来るだけ平等にって努力するのが精一杯でユートピアは存在しない。

結局、この対決はずっと続くんですよね。。。

ブログランキングに参加しています

にほんブログ村 海外生活ブログへ
よかったらシェアしてね〜
  • URLをコピーしました!

コメント

コメント一覧 (2件)

  • John LennonのImagineの世界はやはり理想を歌ったもんなんだなって思いますわ。

    現実社会での公平って難しいですよね、とくに宗教が絡む場合は双方の「正論」がぶつかり合ってるのに、その社会でのマジョリティーにとっての正義に落とし込まれてしまうのが世の常だし。(これは国際結婚カップルの関係にも似てますね)

    色んな意味で懐の広い人間になりたいと思い続けている私です。

    • Giroさん、こんにちは〜❣️
      重い題材でしたがコメント頂いて感謝しています🙇

      【公平】や【平等】って言葉にすごく敏感に反応してしまいます。
      そもそも存在するの❓って

      本当に懐の大きな、広い人間になりたいですね。

コメントする

CAPTCHA


目次