アテシも昔は、ゲイだって事実が自分の毎日を占領してしまって本当の意味での自分を失っていた時期があります。
LGBTQへの法律が整備されたカナダでの生活が自分を取り戻すきっかけになったのかも知れません。
遠く日本でLGBTQとして生活しその苦悩をツイッターやブログで綴られているのを読むごとに感じているアテシの率直な感想を書いてみようと思います。
はじめに
これはアテシ個人の意見です。
物の良し悪しを話しているつもりは毛頭ありません。
「Food for thought (思考の糧)」程度で受け取ってください。
自己喪失
LGBTQと言う事実が日々の自分の思考や行動のどれだけを占めています?
ゲイリベレーションのアクティビズム活動に参加してしていた当時のアテシの会話は悲観的で毎日
「ゲイだから〜出来ない。」
そんな話ばかりだった気がします。
- ゲイだからノンケのように結婚して移民が出来ない。
- ゲイと言うだけで解雇される
- ゲイとバレたらでアパートの賃貸契約を破棄される
この『ゲイだから〜』だとか『ゲイってだけで〜』とか言う接頭語を無くしたい。
必要ないですよね。
そう思ってゲイリベレーション活動に真剣に参加しとりました。
そんな当時を振り返ってみると「自分がゲイである」事実がアテシの思考や言動の大半を占めとったと思います。
ゲイと言う自分がアテシの全部じゃない
当時は、法律の整備もされてなかった時代。そう思っても仕方がなかったとです。
アメリカよりもLGBTQへの法律整備が進んどるカナダで生活を始めて特にそう思うようになりました。
- ゲイでも結婚すれば相手を移民させる事ができる
- ゲイだからって解雇される理由にならない
- ゲイとバレてもアパート賃貸契約を破棄される事は出来ない
LGBTQだからと言って生活をしていく上で区別 (差別) される事は法律で禁止されてとるからやと思います。
いつ頃からかな、よくこのようなセリフを聞くようになりました。
ゲイと言うのは自分のセクシャリティであって、自分のアイデンティティーでも全てでもない。
自分のほんの一部にしか過ぎない。
自分にはもっと沢山のクウォリティーもアイデンディティーもある。
多くのLGBTQの人たちが個人の価値を探し始めたんだと思います。
社会の意識
カナダと比較してLGBTの法律の整備がアメリカや日本ではどうして難しいのかについて考えたとき「社会の意識の変化」を思いつきました。
例えば北米のパリとも言われるケベック州モントリオール市。
ここ15年くらいで「ゲイビレッジ」が段々と廃れ始めとります。
その姿を見るたびに悲しい感情と希望とがアテシの中で入り乱れます。
一昔前までは、LGBTQの人たちが自由気ままに自分自身でいられる場所として「ゲイタウン」や「ゲイビレッジ」が大きな都市にありました。
ゲイだと言う事が特別視されないこの都市では、LGBTQの憩いの場所としての『ゲイタウン』も『ゲイビレッジ』もその必要性が段々と薄れて来たと思います。
ゲイビレッジじゃなくても、レストランに同性2人っきりで入って、周りを気にせずにロマンチックな時を過ごすことが出来ます。
結婚記念日や誕生日だとか。
下手したら周りに座っている人たちからもお祝いを言って貰えるくらいです。
ホテルで男性2人で女性2人でベッド1つの部屋を借りようと断れることなどありません。
「結婚記念日なんだ」なんて言うと、ワインのサービスが出たり。
あたかも街全体が「LGBTだから何?」って言っているかのように。
LGBTQに対する偏見が少なくなって来たんだ1と感じさせられ希望を感じる時です。
ビジビリティーの大切さと先駆者への感謝
「社会の意識」を変えるってどうよ。
日本がだいぶん変わって来たと思うようになったのはLGBTQのビジビリティー。
ここ数年でテレビや新聞、雑誌でもLGBTQ関連の話を頻繁に見かけるようになりましたよね。
自分の身の回りにもLGBTQの人たちがいる。
個人的にLGBTQの人を知っている、友だちでいる。
シビルユニオンだったりも報道され注目を集めました。
こうやって少しづつ社会の意識が変わっていくんだと思います。
アメリカの場合、両極端なビジビリティーが存在しているとアテシは思います。
主に、保守的なキリスト教徒の団体だったり白人優越主義の団体だったりがそれ。
アメリカで中々LGBTQ関連の法律整備が難しい理由の一つだと考えています。
それでも社会の意識がこうやって変わり始めたのは先駆者の人たちが必死に活動してくれた賜物では無いでしょうか。
自分たちは恋愛対象となる相手が違うだけ。
犯罪者はゲイでもノンケでもいる。
性犯罪者もゲイだろうがノンケだろうが存在する。
教師もいるだろうし、公務員だっている。
変わらないのは誰かの子供であって、兄弟姉妹であること。
1人の人間であること。
その人間の価値はセクシャリティーで決まるもんじゃない。
先駆者の恩恵を受けてアテシらは美味しい蜜を吸っているんですよね。
本当に感謝です。
Chicken first or Egg first (鶏と卵どっちが先?)
法律の整備が最初?
それとも、社会の意識変化が最初?
カナダの場合は両方だったんじゃないかなぁ。
社会の意識がある程度変化しないと法律の必要性は見出せんし。
法律が整備されたら社会の意識変化を加速する原動力にもなれる。そうも思える。
カナダにもすごく保守的なプロビンスがありますよ。
その人口も決して少ないわけじゃない。
それでも法律の整備が出来たのは最高裁と政治力やったと思っとります。
ゲイリベレーションが進むにつれて、カナダやアメリカでLGBTQ関連の訴訟が沢山起き最高裁での判決が必要になって来た。
同性婚もその一つ。
アメリカではついこないだ最高裁がセクシャリティーが性差別に含まれるか否かの論議を聞いたばかり。数ヶ月後その判決を下す予定です。
最高裁の判決に従って議会が法案をまとめる。
でもこの最高裁の裁判官は政治力で決まっていると言っても過言じゃない。それは、最高裁の裁判官の選任に大統領や首相が大きく関わっているから。
さいごに
社会の意識がある程度変わりそれが政治力と繋がった時にパーフェクトストームが起きるんですかね。
日本でもLGBTQのパブリックフィギャー(公人)が増えて来たと思います。個人的にはちょっと隔たりがある懸念があるけど。
早く日本のLGBTQの人たちがセクシュアリティを気にせずに自由に真の自分のアイデンティティーを探せる日が来たらいいなと願っています。
- それでもゲイバッシングは未だに存在します。完全に無くなったとは考えていません。 ↩︎
コメント
コメント一覧 (2件)
フランスの場合は、サルコジ元大統領任期終了後の大統領選で、社会党の有力候補のDSKが、NYCで、セックススキャンダル起こして、失脚後、同党のオランド候補が、同性婚を公約の一つに掲げて、大統領に当選。同性婚法案審議投票前のデモ行進(五十万人参加だったと思う)には、我々も参加した。が、反対デモ行進も、ものすごく、アテシさんがいうように、キリスト系団体が音頭とって、確か、四十八万人動員して、アジャー、こりゃ、だめかなと、がっかりするも、カリブ海フランス領選挙区のトビラ法相の力強い演説もあって、なんとか、法案成立したのでした。その恩恵で、今、やっと、結婚配偶者ヴィザがとれたんです。それまで、毎年ヴィザ更新で、おちつかないやら、煩わしいやら、面倒でした。なので、、、披露宴をしたーーーい。
Etienneさん
コメント本当に有難うございます!
アテシも昔プライドパレードに参加していた頃は良くKKKだとかキリスト系団体とかと衝突することがありました。
当時は警察もどちらかと言うと面倒臭がって自分たちを守る側にも立たない警官が多くてけが人が出たり。。。
ヨーロッパや北米から学んで日本はスマートに進んでくれたら良いなって思っています。
おフランスでの披露宴!
見てみたわぁ〜ん。