アテシの持論 初等教育が全て

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こんにちは、けび子( @keviko.com)です。

先日の投稿で「初等教育の差」ってサラッと言及しました。

Twitterで仲良くして頂いているちよかま(@gh_chiyokamaya)さんがご自身のラジオでどう言うことなのかもう少し詳しく知りたいって言われていたので少しだけ書いてみたいと思います。

あくまでもアテシの経験を通して築き上げた持論です。

本当にアテシ個人の意見ですので気に入らない部分があったら愛嬌でスルーしてください。

目次

常識

これって本当に団体生活の基本だと思います。

学問も大切ですが、初等教育で一番大切なのがこの団体生活での常識を学ぶことじゃないでしょうか。

アテシたちの住んでいる社会はどの国に行っても団体生活に変わりありません。

その団体生活を楽しく有意義に過ごすための「常識」が暗黙の了解で存在します。

厄介なのがこの「常識」は国、地域、文化そして宗教によってズレが生じるんですよね。

何を美徳とするか道徳と考えるかも異なります。

自分の常識を理解出来ないからと言って頭ごなしに相手の善悪を決めるわけにもいきません。

カナダの様に他種の人種に多種多様な宗教信者が共同生活をしている社会では接点を見つけるのが難しいです。

けび子

でも、外出から戻って来たら先ずは「手洗いにうがい」をするって言うのはどこの文化でも浸透しても良さそうなんですがね…

自由

マスクをするしないは個人の自由を損害していると言う人たちをテレビ見ることがあります。

アテシたちの自由は法律や社会の常識って言う枠の中で許されているとアテシは教わりました。

その枠が場所によって異なるだけで、好きなことを好きな時に好きな様にすることは出来ません。

法律はわかりやすいけど「常識」がね。。。

  • マスクをすることで周囲の人へ菌がうつるのを防ぐのが常識
  • マスクをする、しないを自由に選択出来るのが常識

常識の認識が違うと自由の認識も違うってことになっちゃう⁇

他人に迷惑をかけない」範囲での自分の自由ってどの文化でも宗教でも浸透しても良いと思うんですがね…

日本が優れていると思う教育

再度言いますが、本当にアテシの個人的な意見です。

掃除

自分たちの使っている教室を生徒たちが掃除することを話すと必ず北米の人たちは先ず驚きます。

そしてそれはいいアイデアだと納得します。

納得する理由は大きく分けて次の3つです。

  • 掃除の仕方を覚える
  • 自分の使ったものや場所を掃除する習慣がつく
  • 掃除をする大変さを覚えたら…
    • 自分から散らかさない様になる
    • 掃除をする人への感謝を覚える

もちろん全員がこうなるとは誰も思っていませんが、多くの子供たちがこう言った習慣や感謝の意を覚えてくれるのではないかとサッカーやオリンピックの観客席や使用したロッカールームを日本人の観客や選手が自主的に掃除するニュースを例に持ち出して納得しています。

来た時よりも美しく

公共の場所が比較的に汚い北欧米の人たちにはピンと来ない言葉が小学校でアテシたちが当たり前として来た教室や校内の掃除の話で理解してもらえた例です。

給食

小中学校での給食。

当たり前の光景ですが、北米の人たちにはこれまた珍しい光景だそうです。

しかも、当番制で生徒が給食を取りに行き、生徒に配る光景は、あたかもホームレスシェルターでボランティア活動している光景に等しいくらい珍しく言われたことがアテシはあります。

でも、しばらくするとこれも良いアイディアだと日本でのこう言った教育に賛同し始めます。

その理由は

  • 分量配分
  • 食後の食器片付け
  • 栄養バランスの取れた食事を目で覚える

決められた量がクラスごとに配られてクラスメートと別ける仕組み。

自然と均等に分けて、食事の量も隔たり無く渡る様になります。

ここでも自分の食べた物を片付けるしつけが幼児期からされているのはやっぱり羨ましいと言われます。

北米のドラマでよく見る学校のカフェテリアの様に生徒が好きなものを自分で選ぶのではなく、献立も一定の栄養バランスが保たれているので育ち盛りの子供たちの健康にも良いです。

その他にも「書道」「そろばん」なども羨ましがられます。

日本でのこう言ったしつけや教育は個人の道徳観だけでなく団体で生活をしていく上で「誰もが気持ちよく過ごせる空間作り」に繋がっているんだと外から見て実感しています。

まとめます

新型コロナウィルスでの死亡者率が日本は低い。

こんなところから始まった「初等教育の差」ですが、団体生活の常識を幼児期に学んでいる日本だから。

そしてその常識を大半の人が同じ様に認識しているからだったからですかね…

相手のことを考えた行動が出来るかどうかは、団体行動に主観を置いた初等教育を受けている人たちはある程度理解出来るんだと個人的には思っています。

団体行動の常識は、幼児期に覚えてしまうと大きくなっても自然と考えずに行動に表れるんだと信じたいです。

個人の才能や長所を強調し過ぎると「私」がいつも先になってしまう気がします。

必ずしもそれが良いとも、悪いとも断言出来ませんが、団体行動と言う観点からだけみると、協調性に欠けてしまう。

そんな気がします。

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