今日はアテシの中での永遠のテーマ「アイデンティティー」についてちょっと書いてみようと思います。
ちょっと長くなってしまいましたが良かったらお付き合いください。
アイデンティティーって
Weblio辞書によると
アイデンティティとは、同一性、すなわち「《他ならぬ》それそのものであって他のものではない」という状態や性質のこと、あるいは、そのような同一性の確立の拠り所となる要素のことである。
同一性の確率の拠り所となる要素
これがアテシをいつも悩ませて来ました。
アテシを悩ませた3つの要因
アテシが思う3つの要因です。
- 東京弁 Vs. 九州弁
- 日本人 Vs. 韓国人
- ゲイ
方言を話せずに嫌がせを受ける
幼稚園に入りたての頃、家族が東京から九州に引っ越しました。
新しい幼稚園ではアテシが方言を話せない事から「女の子みたいな話し方する」と嫌がらせをされ始めました。
中々方言を覚えられずに苦労しました。
方言を覚えても既にアテシを見ると「女の子みたいだ」と言う子たちは減らず、小学校に入学しても変わることはありませんでした。
男の子なのに。。。
否定されている。。。
アテシも子供心にそう感じたんだと思います。
向こうはちょっと揶揄ったつもり、冗談のつもりだったのかも知れません。
もしくは、アテシの反応が面白くて続けていたのかも知れません。
アテシが「違う!」と叫んでも嫌がらせは収まるどころか逆に増え続けました。
幼稚園、小学校の子供です。
嫌がらせをした方もされた方も、一体何を「嫌がらせ」と言うのか、その後どれだけの影響を及ぼすかなんて到底理解も出来ないこと。
アテシはとにかく学校に行くのが嫌いでした。
逃げたかった。
消えたいと思った時期です。
人種差別問題
小学校の中学年になった頃に父親が韓国人だと知らされます。
当時、アテシの家族が住んでいたのは当時は朝鮮部落と呼ばれていた地区でした。
そんなこと知る訳もなく、学校で数少ない友達が出来ても数日もせずにみんな離れて行きました。
親から友達になったらダメだった言われた。。。
部落に住んでいるからだって。。。
見かねた母親がアテシと弟を座らせて話をしたんです。
将来のことを考えても、教員だとか警察官だとか政府関連の仕事には就けないと思っていた方がイイ。
普通の会社でも戸籍を見たら雇えないと言われるところが出て来るかもしれない。
そうなって失望しても遅いから、今のうちから手に職をつけるか自営業をするかにしなさい。
方向性は限られている道だけど現実だと受け止めなさい。
喧嘩や暴力沙汰は絶対にダメ。周りに何を言われても無視。
手を出されても死んだフリしなさい。
何か手を出して問題になったら絶対にあなたたちが不利になるから。
とにかく無視しなさい。
今はもちろん変わって来たのは承知ですがこれが当時の現実でした。
この頃から韓国にの親戚にも頻繁に会いに行くようになりました。
残念なことに韓国の親戚もアテシを100%韓国人として受け入れた訳じゃありませんでした。
育って来た習慣が韓国のと違うので慣れるまでは「やっぱり日本人なんだな」そう言われ続けました。
酷い場合は、
お父さんが韓国人なんだから、君も韓国人だ。
もっと韓国人らしく振る舞いなさい。
これも幼い自分には深い傷として残っています。
日本でも韓国でもどっちつかずの自分に酷い戸惑いを覚えました。
男の子なのに否定され、自分が何人なのかも分からない。
この当時アテシは自殺未遂を3回しています。
最初にゲイだと気がついた時
そんな中でも近所の数人の男の子たちは学校内以外では友だちでいてくれました。
まぁー同じ部落に住んでいたせいもあるんだろうと思います。
相撲やプロレスと言った取っ組み合いの遊びをよくして遊んでいました。
その内、友だちのY君の事だけしか考えていない自分に気が付きました。
夢でも彼と遊んでいる夢。
相撲やプロレスも同じチームではなく相手チームに必ずなって彼と取っ組み合う事だけを考えていました。
今思うとこの時が初めて自分が男の子が好きだと感じた時期だったんです。
中学校、高校と進学していても周りのように彼女が出来ることはありませんでした。
高校は実家から遠く離れたところに行ったので「付き合ってください」なんてレターをもらったりしましたが、当時はバレー部のチームメイトに恋をしていたので受け入れることはありませんでした。
高校3年間片思いでしたぁ〜( ; ; )
当時テレビでサンフランシスコかニューヨークかどっかのプライドパレードのニュースがテレビでやっていました。
それを見てピンと来たんです。
自分の行く場所だ
そこからです。日本脱出計画見たいのが自分の中で生まれたのは。
さいごに
最終的に辿り着いたアテシのアイデンティティーって。。。
アテシはゲイでカナダ人である。
もちろん、アテシは日系人でもあり、韓国系人でもあるのは普遍の事実です。
おまけに、ある男性の夫でもあります。
最近は、『ゲイでカナダ人』が全部それを網羅してくれているのではないかと思っています。
『ゲイ』と言うセクシャリティーは、アイデンティティーと言う大きな枠組みの中ではほんの僅かな部分しか占めていないと思います。
でもその僅かに違う部分がマジョリティー(大衆)とは大きく違う部分であるのも事実です。
北米と言う東アジアよりリベラルな環境に住んでいるからこそゲイというアイデンティティーに潰される事もなく生活出来ています。
また、カナダと言う移民の国だからこそ、色んな文化や習慣が重なり合って存在し共存しています。
何系の人種だろうとカナダ人と言う大きな括りでまとまることが出来ています。
そう考えると、アテシにとってこの地がいかに拠り所としてアイデンティティーを確立しやすい場所だったのかを今更のようですが納得しています。
コメント
コメント一覧 (2件)
昨日は、連れ合い(フランス人男性、わたくしと同い年、アテシさんより一回り以上、年上で、四年前にパリで、同性婚、一緒に住んで、18年)の昔の同僚夫妻の結婚40周年パーテイに行きました。緑色がテーマで、緑のズボンを着ていきました。主菜は、クスクスで、チキンが、すごくおいしかったのですが、ランダムに五つのグループにわけて、古いシャンソンを歌う趣向に、わたくしは、ついてけず、後ろの片隅で、ポツンとして、、、異国人は、私のみで、どうでもいいんですが、早い話、村八分の気分にすこし、早くお家に帰りたくも、バスも地下鉄ももうないし。結局、真夜中過ぎ迄、ぽつりんこ。たいしたことじゃあないんですが、ゲイパーティーに いきたいなあ。人って、毛色の変わったのを除けもんにするんは、本能だと思うんですが。
ご近所ならウチらの集まりにお呼び出来るのに残念ですね。