日本語で判決文を読んで頭痛を起こしています。
同性婚を認めないのは違法だと日本の各地裁で訴訟が行われております。
去年3月に札幌地裁は一部違憲だと判決を下したのですが、今回大阪地裁は合憲だと正反対の判決を下しました。
どうした理由かしら?
判決文を読んでみたいって思って探したんですよ。
ちゃんとニュースに出ていました。
気になるかたはどうぞこちらから↓
これを読んだアテシの感想って『結論から導いた理由付け』でした。
アメリカの一部の州、カナダの一部の州、そしてヨーロッパの数カ国でも最初は、『シビルユニオン』と呼ばれる法律的に同性の関係を婚姻と同じようにする法律を作りました。
これは、結婚は宗教的な色が濃く、同性婚を認めない宗教を尊重しながら同性婚を認めようとした駆使の策でした。
でも、結婚とシビルユニオンと言う二つの方法を作ることで同性愛者と異性愛者を区別することになり、それこそ法的に差別を容認することだと、『結婚』を合法にすることになった経緯があります。
今回の判決文を読むとこのシビルユニオンを作れば良いじゃないかと言う結論に導く理由付けだと感じました。
判決は、『婚姻とは、男女間だけが想定されていた』、同性間の婚姻は元々想定すらされていないから違法ではない。としています。
想定されていないから違法ではない。
アテシ的にはこの文句は非常に受け入れ難いです。
そして最終的には、法的に定められていない同性間の婚姻を別に作れば良いと結んでいます。
すごく安易で危ない判決への理論。
北米やヨーロッパの法廷でも争われた通り、これは結局異性愛者と同性愛者を法的に区別し差別する結果になるだけどアテシも思います。
最近、アメリカの最高裁判官の話からも思う事ですが、裁判官の仕事が法律に書かれてある文をその通りに解釈し判決を下すことなら、AIで十分です。
人が人を裁く時、人にしか出来ない部分が重要だと個人的には思っています。
時にそれは情だろうし、時には先見の意だろうし、これと言った単語で表せない部分だと思います。
同時に今回の判決文から、裁判所は法律を解釈する場所で法律を作る場所ではないと線を引いた感じもします。
まぁ〜司法の機能的な話をするなら間違っていないだけに、法の読解・解釈についての議論を含めて司法の機能についてどんどんしていかないとだと思います。
社会の常識やモラルは、万古不易ではないと思います。
時に著しいスピードで変わって行くことがあります。
その度に、既存の法律は現実との間に隔たりが出来てしまうことが多々あります。
法律を作る議会も社会の変化と同じスピードで変わってくれれば良いのですがそうもいかないのが現実。
北米での人種差別にしてもそうでした。
同性婚も同じでしたね。
数十年、数百年前に書かれた法律を現在の社会と照らし合わせた時、現在これはもう社会的に認められる行為ではないですねと司法が入り込むことも必要じゃないですか。
そう言えないと、司法は独立しているのではなく、議会の尻について行くだけの人形じゃないんでしょうか?
こんな言葉を聞いた事があります。
Legality is a matter of power and not justice (合法性は権力の問題であり正義ではない).
もう一度よぉ〜く考えてみたいですね。
コメント
コメント一覧 (2件)
必然のごとくテーマが被りましたね(笑)
立法と司法がお互い決断の先送りをしているところで、行政が先行してパートナーシップ条例を出しちゃっている感じですね。
結局『この状態で我慢しておけ!』って事にならないと良いのですが・・・。
Giroさん、おはようございます。
今日もコメントありがとうございます🙇♂️
本当に被りましたね😅
アテシの知っている日本だと条例止まりになっても驚きません。
少数なんだからは黙ってろみたいな言い方をするコメント読むとアテシ燃えます。。。