アテシ、実は水商売の経験もあるんです。
今日はその時の話を少ししたいと思います。
むかぁ〜し、貧乏学生だった頃で30年以上も前の話です。
20歳までは親が仕送りしてくれるって約束でアメリカの大学に通っていました。
本当に20歳になったら仕送りはピッタリ止まりました💧
そう言う約束だったのでがっかりはしても文句はありませんでした。
留学生もアルバイトは出来ますが、週に18時間とかの制限がありました1。
当時は学校内でのアルバイトはOKとかの規定もあった記憶があります。
そんな訳で、アテシは大学校内にある本屋でアルバイトをしていました。
北米の大学では教科書を大学校内で購入したり、使った教科書を売ったりする事が出来ます。
もちろん、校外にも書店があって同じように教科書を買ったり使い終わった教科書を売ったり出来ます。
アテシは、教科書購買担当の補佐兼中古の教科書の購入判定の補佐としてアルバイトをしていました。
そのお陰で、たくさんの教授と話す機会が出来たし、たくさんの生徒と仲良くなれる機会になりました。
でも、アルバイトだけでの稼ぎじゃ生活費の足しにもならなくて、貯金を使い崩して生活していました。
もちろん、学費を払うことも難しくなってきたので、急遽日本へ出稼ぎに急遽帰国!
そして、3ヶ月ほど2丁目で店子をすることになったのでした。
楽しかったですよ❣️
お店のママにも可愛がって貰って、常連のお客さんには本当にお世話になっちゃって。
本当にいろんな方と出逢いました。
芸能関係も方々ももちろんいましたよ😉
アメリカに戻る前には常連のお客さんに大きな花束頂いちゃって。
嬉しかったけど持って帰れないし🤣
せっかくだけどお店に置いて来たんじゃなかったかな。
スナックって懐かしいわぁ〜。
コッチには無い飲み屋文化だし。
パブ文化が一番似ているかなぁ。
きっと、だからパブ文化が大好きなのかしらねw
- 1990年代の話で今はどうか解りませんのでご注意ください。 ↩︎
コメント
コメント一覧 (2件)
同世代ですから、同じころに2丁目にいたかもしれません(笑)。
二丁目で店子をやっている人って、明るくて、カッコよくって、頭の回転がいい人が多かったですね。僕は暗くて、ブサメンで頭の回転も弱かったので、絶対店子はできないな~と憧れのまなざしで見ておりました!
JPSNSFOさん、こんにちは❣️
いつもコメント頂き本当に感謝しております🙇
もしかしたらどこかでお会いしていたのかも知れませんね〜❗️
アテシは勢いでしたよ、もう勢いだけ🤣
他のお店の人たちはやっぱりプロ意識持ってらっしゃいました。
気の配り方からお客さんの見抜き方まで。
本当に頭キレるって感じでしたね。
アテシはチヤホヤされて勢いで騒いでだけだった感じです😂